京都
2025.01.25
みなさん、こんにちは! 今回ご紹介するのは、京都・宇治を舞台にした「朝日焼 十六世・松林豊斎から学ぶ、やきものと茶文化を堪能ツアー」です。日本を代表するお茶の名産地・宇治。中でも宇治茶は古くから諸国大名や茶人たちに愛され、各人専門の御茶師が好みに合わせて茶葉を見極め、合組(ブレンド)を行っていたといいます。そんなお茶に造詣が深い人々にとって、茶器もまた、お茶と同様に大切な存在です。今回は日本の茶文化に寄り添い、その歴史とともに発展してきた宇治の名窯「朝日焼」と茶文化の魅力に迫ります。
本ツアーのナビゲーターを務めてくれるのは、「朝日焼」の当主である十六世 松林豊斎(まつばやしほうさい)さん。今から約400年前、桃山時代から江戸時代に移り変わろうとする慶長年間に築窯されたという「朝日焼」。その起源から、茶陶として作陶を続ける家に生まれたご自身の体験や心境の変化、そして、宇治の文化や風土についてお話を伺いました。
【目次】
_まず、宇治のやきものの歴史と「朝日焼」の起源について教えてください。
松林豊斎さん(以下M)_ 5世紀頃の『日本書紀』に、やきものの技術を持った人々が難波の都から淀川を遡り、宇治で降りた後、信楽方面へ向かったという記述があります。彼らが各地に点在して、やきものの技術が受け継がれていったといわれています。おそらく、その頃にはすでに宇治でも作陶が始まっていたのではないかと考えられます。1600年頃になると再びお茶文化が注目を集め、宇治はお茶の産地として発展を遂げました。そしてその時代、初代・松林豊斎が茶人・小堀遠州から「朝日」の二字を窯名として授かり、「遠州七窯」のひとつとして、私たちの歴史が始まりました。
_400年以上の歴史があるのですね。土の特徴についても教えてください。
M_「朝日焼」の陶土は焼き上がりの違いによって、大きく3つに分けられます。淡い黄と灰色のグラデーション、鹿の背中のような斑点模様が特徴的な土味を鹿背(かせ)と呼び、もう少し多く鉄分を含んだ赤黒く発色するものを紅鹿背(べにかせ)、そして朝日のような橙色を帯びたものを燔師(はんし)と呼んでいます。
宇治の陶土は柔らかな表情が特徴で吸水性があり、熱伝導性が低いので熱くなりにくいので、茶器を制作するのに相性がいいんです。個性がある土味をそれぞれ調整しながら用い、この土地の土の良さを引き出すように作陶しています。
また、約200年前に煎茶の文化が生まれると、ほぼ同時期に磁器の技術も伝わり、煎茶器の製作が始まりました。煎茶では透き通った緑色を楽しむため、磁器の白い土を使って、できるだけ純白に仕上げた煎茶器が作られるようになっていったんです。
_やはり子供の頃から日常的にお茶を飲んでいたのですか?
M_そうですね。子供の頃から、家では抹茶や煎茶を飲むことがよくありました。例えば、お正月には必ず家の当主が家族のために大福茶(おおぶくちゃ)を淹れる習慣があります。お節料理やお雑煮をいただく前に、まず当主が淹れたお茶を飲みながら新年の始まりを迎える、という流れになっていますね。
_家庭の中でお茶の文化がちゃんと根付いているのですね。
M_おそらく東京や他の地域ではあまり見られないかもしれませんが、宇治や京都では、お客さまがいらした際、その場でお茶を淹れてもてなします。現代では裏で準備をしてお茶をお出しするのが一般的かもしれませんが、本来はもてなす側がその場でお茶を淹れながら、直接コミュニケーションをとることが「おもてなし」なんです。そのため、お客さまの前で急須を使う場面が多くなるので、より良い急須やお茶碗を求める方々が「朝日焼」の品を好んでくださることが多いですね。
_うつわは人と人をつなぐ、「おもてなし」のツールなんですね。
M_ だからこそ、「朝日焼」らしいものを作るということは、宇治の人たちが誇りを持って使える急須や茶碗を作ることに通じる気がしています。茶道で使っていただくのはもちろん、日常のひとときに急須で煎茶を淹れる際にも、私たちのうつわを手に取っていただけたら嬉しいですね。それが使う人にとっても、お客様に対しても敬意を表すことにつながったらと思っています。
_2016年から十六世を襲名されていますが、最初から後を継ぐつもりだったのですか?
M_なんとなく将来的にはやきものに携わるのだろうと思いつつ、できるだけ距離を保ちながら過ごしてきたのが実際のところです。就職活動の時期になると、周囲が真剣に自分の進路を考え始めますよね。その姿を目の当たりにした時、ふと、自分はこれまで本気でやきものをやろうと考えたことがなかったな、ということに気づいたんです。
_「朝日焼」の存在が、身近にありすぎたということもありますよね。
M_はい、2015年に先代である父が亡くなりましたが、生前、一度も「後を継げ」とは言われませんでした。自分のやりたいことを考えたとき、一度は海外で働いてみたいと思い、その機会が得られる企業に就職しました。九州に赴任してしばらく働いていたのですが、実際には海外赴任が難しいことがわかり始め、「やきものをやるなら、今戻らなければ」と考えるようになったんです。距離を置いて初めて、自分の家業に対する誇りを再認識できました。その後、戻って陶芸の学校に入り、修行を積みました。
_15代続く家元を継ぐという感覚は我々には想像がつきませんが、実際どういったお気持ちでしたか?
M_多くの方が中学を出たらそのまま高校に進学するように、やきものについても、自分の中では「おそらくやるだろうな」という感覚がありました。もちろん、高校に行かないという選択肢も頭では理解していますが、大半の人は進学するだろうと考えるようなものです。やきものもそれに似た感覚で、いずれは自分もやるんだろうなと。ただ、他の機会があれば、もしかすると別の道もあるかもしれない、といった可能性も心の中では感じていました。
_現在のご活躍を拝見していると、宇治に戻ってこられたことで、会社員の頃より世界が近くなったようにお見受けします。
M_本当にそうなんです。今年もロンドンで個展を開きました。最初の10年ほどは、ただひたすらにやきものを作るだけだったのですが、今の国内は「作れば売れる」という状況ではなくなっています。そうした時代の流れの中で、自然と海外に挑戦するようになっていったんです。今回も個展に合わせて2ヶ月間、ロンドンで作陶も行いました。遠回りをしているようで、実際にはそうでもなかった。人生って不思議なものですよね。
_伝統ある名窯を継ぐということは、単に守るだけでなく、新しい挑戦や革新も自ずと求められるということなんですね。
M_そうですね。どの時代でも、各世代が試行錯誤を重ね、評価を得たものの中には、時代の移り変わりとともに廃れていくものもあります。でも、時代が変わっても廃れずに重なってきたもの、たまたま同じように歩まれてきた道が、一本の道として見える。それが「伝統」と呼べるものなのではないかと思っています。
_更新を続けながらも背骨として残っていく軸があるのですね。無意識のレベルのお話かもしれないと思いました。
M_仮に10年や100年であれば、変わらないものを固定的に作ることもできると思いますが、200年、300年となると、世の中の流れとともに変わらないものは本当に少なくなりますよね。その少ない「変わらないもの」を守り続けるために、各代が「今らしいもの」をどう作っていくかが課題だと思っています。私自身は、親が早くに亡くなったので、あれこれ言われることもなく、わりと自由にやらせてもらっている部分もあります(笑)。
_豊斎さんが現代の「朝日焼」として挑戦されていることはありますか?
M_空の色をイメージした水色の釉薬を使ったうつわですね。これは従来の「朝日焼」にはなかったものです。「朝日焼」の優しい風合いは、茶室の障子越しに入るやわらかな光に調和するように作られていますが、現代の明るい照明や海外の方々には、その美しさが伝わりにくい部分もあります。どの国にも空はあり、文化や世代、常識、国境を越えて共通するものです。これが新しい伝統として根付くかどうかは、後の世代が決めればいいと思っています。
_元々の「朝日焼」が持つやわらかいニュアンスの延長線上にある水色ですね。
M_そうですね。現代的で目を引く色合いに仕上げています。そこに、宇治川の風景や「朝日焼」の持つ独特の空気感も、なんとなく感じ取っていただけたら嬉しいですね。
_今回のツアーで初めて宇治を訪れる方も多いと思います。豊斎さんの思う、このまちの魅力ってなんですか?
M_やはり宇治ならではの独特の空気感ですね。人々の営みや建物、そして自然が調和しているように感じます。そのバランスが、宇治川の緩やかな流れにも似ているような気もします。
_宇治は都会ではないけれど、どこか洗練されている感じがありますね。
M_京都の人たちから見ると、宇治は少し田舎かもしれませんが、私たちにとっては心を開いてリラックスできる場所です。京都ほど洗練されていないけれど、どこか角が丸いというか、地方と京都のちょうど中間にあるような心地よさが全体にありますね。例えば、宇治川の橋のたもとの「通圓」さんは創業800年、「宇治神社」は千数百年、「朝日焼」は400年と、まちの要所がほとんど動くことなく歴史を重ねてきました。100年前も200年前も、そして現在も変わらない雰囲気がずっと保たれている稀有なまちだと思います。
_今回のツアーでは初めて朝日焼に触れる方々もいらっしゃると思います。最後に参加者の皆さんにメッセージをいただけますか?
M_日本は、やきものの種類が非常に多いですよね。その背景には、土の種類の豊かさがあると思います。日本は地域ごとに土が多様で、野菜の種類が多いのも同じ理由だという記事を読んだことがありますが、やきものにもまさに同じことがいえると思います。
各地で採れる土や風土が、その土地ならではのやきものには表れています。私たちのうつわを手に取ったとき、「『朝日焼』って宇治らしいな」と感じていただけたら嬉しいですし、他の産地のものに触れたときにも「これは『朝日焼』とは違うけれど、この土地らしさがあるな」といったように、地域ごとの特色を楽しんでいただけたらいいなと思います。こうした多様性は、作為的には生み出せないものですから。
それから、自分がどんなものに魅かれるのかを知ると、自らの美意識や嗜好性が見えてくると思います。やきものは、その地域の空気感と結びつき、歴史を背負って作られています。そんな視点で見ていただけると、さらに面白く感じてもらえるのではないかと思います。
朝日焼十六世 松林豊斎 2016年に朝日焼十六世豊斎を襲名。「朝日焼」の根底にある「綺麗寂び」という茶人・小堀遠州の美意識をもとに、茶道具としての茶盌や茶入、水指、花入などを中心に「朝日焼」伝統の鹿背、紅鹿背をはじめ、十六世としての作風であり現代的な雰囲気をもつ月白釉流しの作品制作を行っている。海外での作品発表や、茶会の開催、茶の文化を広めるワークショップの開催なども積極的に行い、英国セントアイブスのリーチ窯での滞在制作及び作品発表、フランスパリのギメ東洋美術館での作品展示や茶会の開催の経験がある。
参加のご応募について/下記リンクよりお申込み下さい。
受付を行ったあとは、今回のツアーのコンセプトや概要についてお話します。その後、参加者同士で自己紹介を行い親睦を深めます。
松林豊斎さんより、「朝日焼」についてレクチャーをして頂きます。茶の湯の歴史や宇治茶と切ってもきれない関係性を肌で感じながら体系的に学べます。
レクチャーが終わった後は、「福寿園 宇治茶工房」内にある福寿茶寮へ。茶蕎麦をはじめお料理にもお茶がふんだんに使用された御膳を贅沢に「朝日焼」の器でいただきます。
昼食後はお茶席で嗜まれる茶香服(ちゃかぶき)を楽しみましょう。
茶香服とは、数種類のお茶を飲み比べ、その茶種茶銘を当てる利き酒ならぬ利き茶体験。ゲーム感覚で、味の違いのわかる大人になれるチャンスです。
工房を見学した後は宇治川のほとりにある「朝日焼 shop & gallery」へ。窯元の職人が作る茶器や器から、松林豊斎氏が手がける一点ものも並びます。宇治を旅した思い出にぜひお買い物をお楽しみください。
鉄絵(てつえ)と呼ばれる、鉄の成分の絵の具で絵や文字を描く、絵付け体験に挑戦。「朝日焼工房」が制作した湯呑みに絵付けを行います。約2ヶ月後にお手元に郵送もしくは宅急便でお届けします。仕上がりをどうぞお楽しみに!